私の希死念慮について。(閲覧注意)
こんにちは、ちばです。
私の10月14日の通院記録の投稿にて、
【頂いた診断書に『希死念慮かなりあり、不安感重度』と書かれていて衝撃だった】
と記載しました。
何が衝撃だったのか。
まずは「私の感じている不安感は割と重度だったのか」という点。
そこまで重いという自覚していなかったため、そうなんだ…という感覚でした。
何より衝撃を受けたのが、『希死念慮』というワードが出てきたこと。
私は、正直どんなに精神的につらくても、PMDD期でも「死にたい」と思うことはありません。
死ぬのが怖いからです。
これは幼稚園の頃から変わらず、ずっと怖いです。
たまに「死んだらどうなるんだろう」と考えては怖くなる…を割と小さい頃から繰り返してきました。
そして職業柄、子ども達に「死を選ばないで欲しい」と伝える立場でもあるので、そんな自分が希死念慮…とショックでした。
でも確かに「死にたい」とは思わないものの、死を考える時間、死への考え方はこの2ヶ月程度で一気に変わったように思います。
恐らく希死念慮がかなりあると判断された背景は、ここ何回か実施している鬱スケールで『自分が死ねば周りの人が楽になると思いますか』という質問に対して『そう思う』と回答しているからでしょう。
でも通院当初は、「自分が死んでも周りの人が悲しむだけで楽にはならない」と考え、『そう思わない』と回答していました。
今では「これだけ周りに迷惑かけてるんだから私が死ねばそりゃ楽にはなるでしょ。(まぁその後の人生が狂ってしまう人もいるかもしれないから死にはせんけど)」と考えてしまいます。
メンタル的に調子が悪い日は、ベットの上でボーッと「飛び降るとしたら、どの姿勢で落ちたら綺麗なのかな」「吊るならどこでどんな風に吊るかな」「死を選ぶならどこがいいかな」「死ぬなら綺麗な死体になりたいな」etc…直接的に「死にたい」とは思いませんが、間接的に死を考えることが多くなりました。
(これには少し前に気付いて少し自分で怖くなりました)
今のところ、私を取り巻く『死』の考えはこんな感じです。
私としては、『希死念慮』という自覚は持っていません。
死ぬことは希望していないから。
でも、鬱スケールの回答が通院当初とは変わってしまったように、「怖いから死にたくない」が「怖いけど死にたい」に変わってしまう日が来てしまうかもしれない。
そう思うと、この変化を甘く見ていてはいけない、本格的な希死念慮への入口かもしれないと怖くなりますが、そうならないように、自分、周りの人を大切に生きていきたいと思います。